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メモ ”つぶやき”で革命は起こせるか

PLOは、最初はネットワーク型の団体だったという。国際関係を専攻する学者、メッテ・エイルストルプ‐サンジョヴァンニとカルヴァート・ジョーンズの2人は、学術誌「インターナショナル・セキュリティ」に寄せたエッセイで、この組織形態がPLOの成長過程で問題が多発した原因だと論じている。

「中央権力の欠如、各派閥の自律性、組織内の対立を解決する仲裁機構の欠落。これらはすべてネットワーク型組織の特徴だ。PLOはこうした組織形態だったため、外部から操作されたり、内紛が発生したりする弱点を持つことになった」

この論考は、1970年代のドイツの事情にも言及している。

「ドイツの左翼テロ組織は(PLOよりも)団結しており、戦果もあげていたが、その組織の構造はヒエラルキー型だった。中央指導部を確立し、顔と顔を突き合わせての定期会合を通して信頼と連帯感を育むことができた」

ドイツの左翼組織のメンバーは警察の尋問を受けても、ほとんど同志を裏切らなかった。一方、ドイツの右翼組織は、中央集権化されていないネットワーク型だったため、統率がとれていなかった。簡単にスパイの潜入を許したほか、メンバーも逮捕と同時に仲間を裏切る傾向があった。

公民権運動では、ボイコット、座り込みなどの非暴力の抗議活動の手法が多用されたが、これはハイリスクの戦略である。組織の内紛や失敗は、一切許容できないからだ。抗議運動に加わっている人が一人でも台本どおりの動きをせずに、相手の挑発に応じたりしてしまうと、抗議運動全体の道徳面での正当性が損なわれてしまう。

ネットワークというものは乱雑なものだ。それはウィキペディア上での、ひっきりなしの訂正や修正、議論をみれば一目瞭然だ。

かつて毛沢東は「政権は銃口から生まれる」と述べたが、そのとき同時代の人は、その言葉を字義通りに受け取った。毛沢東がその言葉をどのように伝えたか、ということに関心を抱く人はいなかった。演説で言おうが、友人に囁こうが、日記に記そうが、本に書いて出版しようが、関係なかった。

だが、現代では、そうはいかない。いまの人は、どのようにしてその言葉が伝えられたかということに執着する嫌いがある。「毛沢東フェイスブックに『政権は銃口から生まれる』と投稿していたよ」とか「毛沢東がタンブラーで銃について語っていてさ」といった具合になり、仕舞いには「スゲェな、いまの毛沢東のツイート見た?」という感想しか残らないこともあるだろう。言葉の内容よりも、言葉を伝えるニューメディアのほうに重点が置かれがちなのだ。

いまエジプトは反政府デモによって政権が倒れるかもしれない事態になっている。この反政府デモの起源や意味について指摘すべき重要な事柄は数多くあるにちがいない。そして、そうした無数の事柄のなかでは、「反政府デモに加わった人が、ニューメディアのツールを、抗議運動の組織のために一時的に使った」云々の事実はもっともつまらない部類に属するといえるだろう。頼むから、もういい加減にしてくれないか。民衆が立ち上がり、政権を倒すということは、フェイスブックやインターネットがこの世に現れる前から起きてきたことだ。80年代の東ドイツでは、ほとんどの人が電話すら持っていなかったのに、ライプチヒに無数の市民が集まって抗議運動をした。フランス革命では、現代人が忘れがちなコミュニケーション・ツール、すなわち「肉声」がもっぱら使われた。義憤に駆られた民衆が、その感情を伝える手段を見つけるということは驚く話ではない。

立ち上がった民衆が、どのようにして自分たちの感情を伝えたかということより、そもそも彼らが何によって衝き動かされているのか、ということのほうが、よほど興味深いことなのである。

The drawbacks of networks scarcely matter if the network isn’t interested in systemic change—if it just wants to frighten or humiliate or make a splash—or if it doesn’t need to think strategically. But if you’re taking on a powerful and organized establishment you have to be a hierarchy. The Montgomery bus boycott required the participation of tens of thousands of people who depended on public transit to get to and from work each day. It lasted a year. In order to persuade those people to stay true to the cause, the boycott’s organizers tasked each local black church with maintaining morale, and put together a free alternative private carpool service, with forty-eight dispatchers and forty-two pickup stations. Even the White Citizens Council, King later said, conceded that the carpool system moved with “military precision.” By the time King came to Birmingham, for the climactic showdown with Police Commissioner Eugene (Bull) Connor, he had a budget of a million dollars, and a hundred full-time staff members on the ground, divided into operational units. The operation itself was divided into steadily escalating phases, mapped out in advance. Support was maintained through consecutive mass meetings rotating from church to church around the city.

Read more http://www.newyorker.com/reporting/2010/10/04/101004fa_fact_gladwell#ixzz20JH3yWgt


下記リンクより抜粋。

2011.02.09 ”つぶやき”で革命は起こせるか
http://courrier.jp/blog/?p=5979

2011.02.10 マルコム・グラッドウェル「エジプトはツイッターを必要としているのか?」
http://courrier.jp/blog/?p=5991

オリジナル
http://www.newyorker.com/reporting/2010/10/04/101004fa_fact_gladwell

http://www.newyorker.com/online/blogs/newsdesk/2011/02/does-egypt-need-twitter.html

http://www.newyorker.com/online/blogs/ask/2010/09/malcolm-gladwell-twitter-social-media.html