kom's blog

… あるいは http://d.hatena.ne.jp/kmiura/ …

パブコメ:「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する意見

以下、トゥルクの図書館で、フライトのチェックイン時間ギリギリまでかかって書いて内閣府の登録システムに投稿。飛行場までタクシーで15分なので、こんなことができる。それにしてもこの図書館、大学のログインアカウントでWifiが使えるんで実に便利だった。



概要: 2030年までに原発比率をゼロとする。核燃料サイクルは撤回、直接処分に方向転換する。新たなエネルギー源の開発に総力を上げる。この転換の端緒として原発の新規設置を禁止する法を2012年以内に制定する。

意見及びその理由

2011年3月11日の東日本大震災に伴った福島第一原発の事故は1945年の日本の敗戦以来最大規模の被害をもたらした人災である[1]。2012年8月の現在、事故からすでに1年5ヶ月が経過したが、福島県における避難者の数はいまだに16万人にのぼる。健康被害を憂慮し自主的に避難、あるいは転居した他の県や都の人数を含めれば、この事故によって生活の思わぬ激変を経験している人の数はさらに多くなるだろう。また、広大な面積が生活のできない帰宅困難区域となった。これは国の領土を失ったことに等しい。原発の事故がもたらす被害は難民の発生、国土の喪失という少なくとも二点において武力による戦争が人々にもたらす被害に酷似している。

また、核廃棄物は以後10万年にわたる厳重な管理が必要になる。しかしその技術は未だ確立していない。たとえ核燃料サイクルの夢がかなったとしても廃棄物は生じる。後続の世代がその廃棄物管理の技術開発に成功することを祈り、託すことになる。そして何百世代もの子孫がその廃棄物の番人となることを強要することとなる。「立つ鳥後を汚さず」という慣用句があるが、これに全く反する行いだ。私の感覚では死して後に膨大かつ危険なゴミの山の処理を後続の世代に押し付けることはモラルに反する。すべての原発をすみやかに停止した後、すでに存在する核廃棄物は直接処分とし、それを安全に10万年管理する技術を責任ある我々の世代が全力を上げて考案すべきだろう。そしてなによりもこれ以上、核廃棄物を増やしてはいけない。

さらに、事故による汚染が比較的軽微であることは全くの偶然の結果に過ぎないことは、強調すべき点である。事故後拡散した放射線物質の沈着量は詳しい測定がなされている。チェルノブイリに比較すると汚染は少ないことがわかっているが、天候の状況よってはより深刻な汚染になる可能性が大いにあった。事故後、福島原発周辺においてたまたま西風が吹く時間が長かった。このため、放出された放射線物質の多くは海側へと吹き飛ばされ陸に沈着したものは総放出量の一部であるに過ぎない。もし継続的に内陸に向かって風が吹き、さらに雨の多い季節であったならば、事故はより広大かつ高濃度の汚染を結果したであろう。目下の汚染分布はまったくのお天気まかせの結果にすぎない。人知によって防御したのではない。次回もし事故が起きたときに、福島と同じように海にむけて風が吹いてくれるとは限らない。

また、陸に沈着しなかったからといって放射性物質は消えるわけではない。海や大気中に拡散した放射線物質は、地球上に生きる全ての人々に一定の確率をもってその健康に害を与えている。この点において世界から日本に向けられる視線は厳しい。ただでさえ大地震が頻発し、津波に襲われる土地にありながら、そして事故そのものが収束しておらず未だに放射性物質を無分別に環境中に排出し続けているにもかかわらず原子力を推進維持しようとする日本という国は国家レベルでの加害者、地球環境の破壊者との批判を受けても否定することは難しいだろう。これは外交上においても得策であるはずがない。ましてやこの地球において日本は二度と事故を起こすことはできない。世界は許さない。そのためには日本は原発を止めるしかないのである。

原子力に依存する未来は、これまでの日本の延長線上にありもっとも安易で想像しやすい未来だ。経済戦略も今のままである。一方、原子力を中心としたエネルギー政策を放棄すれば、これまでとは全くことなる未来を描くことが必要になる。これまでの経済成長戦略も一度捨て去り根本的に考えなおすことが必要になるだろう。これは安易ではない。困難な道だ。しかしこの困難な道に踏み出し、あらたなエネルギー源の開発に向けて大きく舵をとれば、そこには未知の社会が待っている。若い科学者や技術者はそうした開かれた未来、白紙の世界にあってこそ本物の希望と情熱を抱くことができる。技術的、科学的な真のチャレンジと豊かな創発性の発露の場がそこにあるからだ。福島の事故とその後の対応の失敗によって、科学者や技術者は人々を失望させた。なによりも失望したのは若い世代の科学者や技術者自身ではなかったか。必要は発明の母である。すべての原子力発電所を廃炉にするという方針を確固たるものとすることとすれば、新たなエネルギー源の必要に駆られる我々や若い世代にとってその新しい理論・技術・産業を必死の情熱で産み出してゆく強烈なインセンティブとなる。日本政府は原子力との訣別を昂然と宣言し即実行にうつすべきだと私は考える。

2012年の今、原子力発電は、その存在そのものが日本の安全保障上の危機と外交上の損害、地球の環境の危機を継続的にもたらしている存在であると私は結論する。なおかつ日本の科学と技術を賦活し、若い科学者や技術者が希望を持てる未来を描くには原発依存度をすみやかに0%にすべきだと私は考える。なによりも今多くの日本の人々が望んでいるのは、再び生じるかも知れぬ放射能汚染という不安のない生活ではないか。このためには原子力という巨大産業の構造を廃炉に向けて大きく転換し、新たなエネルギーの開発を国策の中心とすることが必要になる。この大改革の端緒としてまずは、新規の原子力発電所の設置を禁止する法律の2012年以内の制定を私は強く希望する。

[1] 国会事故調査委員会報告書、2012年