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稲田朋美の足跡

あまりにいろいろな「誤解」があるらしいので整理しつつ、その行動の源を議員活動をはじめた時点から振り返る。スマホなど小さめの画面や、大画面で眺める場合はレスポンシブなこちらから。

注記

稲田朋美ブログ2008年4月9日付より 映画「靖国」上映中止をめぐって

映画「靖国」の助成金問題について産経新聞正論に書きました。 新聞では字数に限りがありましたので 割愛していないものをこちらに掲載させていただきます。  表現の自由言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、 宗教的宣伝意図のある映画を 制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、 書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。 私と若手自民党議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)は、映画『靖国  YASUKUNI』(李纓監督)自体ではなく、そこに文化庁所管の日本芸術文化 振興会が750万円の公的助成金を出していること、その一点を問題にした。

発端は「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」という平成 昨年12月20日号の週刊新潮の記事だった。この映画を試写会で観た複数の 人が映画のなかに弁護士時代の私が映っていると教えてくれた。 もちろん私はこの映画で観客の眼にさらされることを同意したことはない。

今年の2月に伝創会で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に 上映をお願いした。当初文化庁からは映画フィルムを借りて上映するという話が あり、日時場所も設定したが、直前に制作会社が一部の政治家だけにみせること はできないというので、すべての国会議員向けの試写会になった。一部のマスコミ に歪曲されて報道されたような私が「事前の(公開前)試写を求めた」という事実は 断じてない。公開前かどうかは私にとって何の意味もなく、映画の「公開」について 問題にする意図は全くなかったし、今もない。  

 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。日本映画である、 政治的、宗教的宣伝意図がない、という助成の要件を満たしていないからだ。

まずこの映画は日本映画とはいえない。同振興会の平成20年度芸術文化振興 基金助成金募集案内によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された 者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、 外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について 総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。

映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されてはいるが、取締役はすべて (名前からして)中国人である。 この会社は、平成5年に中国中央テレビの日本での総代理として設立されたという。 映画の共同制作者は北京映画学院青年電影製作所と北京中坤影視制作有限公司 である。製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。このような映画が 日本映画といえるだろうか。ちなみに政治資金規正法では、日本法人であっても外国人が出資の過半を有する会社からは寄付を受けてはいけない扱いが原則である。  

さらに映画「靖国」は、政治的存在である靖国神社をテーマとして扱っており、 そもそもが政治的宣伝である。 小泉総理の靖国神社参拝をめぐっては、国内外で議論があった。特に日中関係は 小泉総理の参拝をめぐって首脳会談ができなくなるほど政治問題化した。

映画「靖国」のメインキャストは小泉総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告らである。 私も弁護士として、靖国神社の応援団としてその裁判にかかわった。その裁判で、 原告らは一貫して「靖国神社は国民を死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、 天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。 映画「靖国」からは同様のメッセージが強く感じられる。映画の最後でいわゆる 「南京大虐殺」にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に 靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを 織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。

いわゆる「南京大虐殺」の象徴とされる百人斬り競争―私は、戦犯として処刑された 少尉の遺族が、百人斬り競争は創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の 代理人もつとめた。結論は遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、 判決理由の中で「百人斬りの内容を信用することが出来ず甚だ疑わしい」とされた。

ところが映画「靖国」では、この百人斬り競争の新聞記事を紹介し、「靖国刀匠」を クローズアップすることにより、日本軍人が日本刀で残虐行為を行ったというメッセージ を伝えている。

 これらを総合的に判断すると、映画「靖国」が、「日本映画」であり「政治的宣伝意図が ない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。なお、この映画には肖像権侵害や 靖国刀靖国神社のご神体だという虚偽の事実の流布など法的にも問題があることが 有村治子参議院議員の国会質疑で明らかになった。   

私たちが文化庁に上映を依頼したとき、映画は既に完成し国内外で試写会が行われ ていた。配給会社によれば、釜山映画祭(韓国)、サンダンス映画祭(米国)、ベルリン 映画祭(ドイツ)等の国際映画祭で高い評価を得たという。 私は弁護士出身の政治家として、民主政の根幹である表現の自由を誰よりも大切に 考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っているのだ。今回の上映の 要請が「事前検閲であり表現の自由に対する制約」という捉え方をされ、そのような 誤った報道をされたことは、私の意図をまったく歪曲したものであり、許し難い。

民主政の根幹である表現の自由によって私の政治家としての発言の自由を規制しよう という言論があることにも憤りを感じる。外国による政治的宣伝の要素のある映画への 助成は極力慎重に行われる必要があるだろう。表現や言論は自由であり、最大限尊重 されなくてはならないのは当然だが、そのことを理由に税金の使われ方の妥当性を 検証する政治家の言論の自由を封殺しようとすることは背理である。

2016年9月30日 衆院予算委 戦没者追悼式に欠席したことに関する質疑

辻元氏「稲田大臣、こういうことをおっしゃっている。『自国のために命をささげた方に感謝の心を表すことのできない国家であっては防衛は成り立ちません。これは日本という国家の存亡にまで関わる』と。ところで、そうおっしゃっている大臣が、国防の責任者になられて、今年の8月15日です。これは防衛大臣になられて初めての8月15日。全国戦没者追悼式があった。これは閣議決定までして天皇皇后両陛下、総理大臣、両院議長はじめ政府の公式の追悼式。今年は5800人の遺族の方、ご高齢の方が多いですが、全国から出てこられているんです。先ほど天皇陛下のご公務の話があったが、最重要のご公務だといわれている。これを欠席されたんですよ。あなたはいつも『命をささげた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません』と言っているにもかかわらず、欠席するのは言行不一致ではないかと思いますよ。そう思いませんか。いつもおっしゃっていることと違いますか。政府の公式ですよ。そして調べました。閣議決定されてから防衛大臣で欠席されたのはあなただけなんですよ。言行不一致じゃないですか。いかがですか」

稲田氏「私は常々、日本の国のために命をささげた方々に感謝と敬意、そして追悼の思いを持つということは、私は日本の国民の権利でもあり、義務でもあると申し上げてきました。義務というよりも、心の問題ですね。心の問題と申し上げてきました。その中で今回、戦没者追悼式に出席しなかったという指摘ですけれども、それは誠にその通りでございます。その理由については就任後、国内外の部隊について一日も早く自らの目で確認して、その実情を把握して、また激励もしたいという思いから、部隊の日程調整をしてきた結果、残念ながら出席をしなかったということでございます」

辻元氏「反省していますか」

稲田氏「大変残念だったと思います」

辻元氏「急にジブチの出張が入ったといわれているが、8月13日に出発して15日を挟んで16日に帰国されている。12日に持ち回り閣議でバタバタと出発しているわけです。確かに世界各国、日本国内の自衛隊防衛大臣が視察されること、激励されることは大事ですよ。しかし、あなた、日ごろいっていることと違うのではないですか。こうもおっしゃっていますよ。『いかなる歴史観に立とうとも国のために命をささげた人々に感謝と敬意を示さなければならない』。毎年、靖国神社に行ってこられましたね。これ公式行事ですよ。あなたの、戦争でなくなった方々への心をささげるというのは、その程度だったのかと思われかねないですよ。そんなに緊急だったんですか」

稲田氏「今までの私の発言… 読み上げられた通りです。その気持ちに今も変わりはありません。今回、本当に残念なことに出席できなかったということですが、ご指摘はご指摘として受け止めたいと思います」

辻元氏「国会議員は地元で式典があったり、集会があったりします。でも防衛大臣ですよ。ジブチに行きたくなかったんじゃないですか。稲田大臣が防衛大臣として靖国に行くと問題になるから、回避させるためではないかと報道されているんですよ。あなたは防衛大臣だったら信念を貫かれた方がいいと思いますよ

2011年12月5日 衆院予算委員会 

衆議院会議録情報 第179回国会 予算委員会 第7号

○稲田委員 総理、前沖縄防衛局長が不適切な発言を理由に更迭をされました。沖縄県民や女性に対する侮辱的な発言でした。その後に、一川防衛大臣が国会で、あろうことか沖縄少女暴行事件の詳細を知らないというあり得ない答弁をされました。沖縄県民だけでなく、日本国民全員が一川大臣に怒りを覚えています。  総理、なぜ、このような事態になっているにもかかわらず、いまだに一川防衛大臣をかばい、更迭なさらないのですか。

○野田内閣総理大臣 前沖縄防衛局長の発言は極めて不適切であり、今般の更迭は当然の措置であるというふうに思います。  その上で、改めまして、沖縄県民の皆様の感情を大きく傷つけたことについては深くおわびを申し上げたいというふうに思います。  その上で、一川大臣の発言でございますが、これは御本人に真意を確認していただければとは思いますけれども、詳細については知らないと申し上げたのは、恐らく、詳細をこういう場で語ることは適切ではない、あるいは不正確な記憶でしゃべることではないという御判断があったのではないかと私は考えております。

○稲田委員 情けない言い逃れはやめてくださいよ。大臣が詳細を知らないとおっしゃったのは、本当に詳細を知らないとおっしゃったんですよ。その場で言うのがふさわしくないとかそういう問題ではなかったんです。  しかも、官僚に責任をとらせて終わりですか。それが民主党のおっしゃっている政治主導ですか。部下に責任をとらせて御自分は保身を図る、それが政治主導ですか。政治主導というのは政治家が責任をとることですよ。  一川大臣、御自分の部下には厳しく、そして自分には甘い、それで示しがつくんでしょうか。大臣、お答えください。

○一川国務大臣 お答えいたします。  今御質問の、私の発言のことがちょっと出ましたので、事実関係と私の思いを述べさせていただきますけれども、参議院の復興特別委員会の席で、佐藤委員の方からそういう質問がございましたときに、私は沖縄の問題というのはかねてから関心を強く持っておりましたし、いろいろなことはある程度は承知いたしておりますけれども、少女暴行事件の件について、急にそう言われたものですから、私はあの委員会の場でそれを詳細に説明するということは、余り事件の性格上よくないというふうな思いがございました。  そういう中で、私の表現が非常に、そういう面では、いい表現では当然なかったわけでございますが、自分自身は、もう既に沖縄での少女暴行事件から十六年経過しておりますし、それがもとで、当然、沖縄県民の大きな当時の怒り、そういったものが米軍基地に対する整理縮小なり返還という運動に大きくつながってきた出来事であったことは、非常に痛ましい事件であったことは間違いないわけでございますので、それに基づいてのSACO合意というものがなされ、それからもう丸十五年経過している中では、今回のこの普天間問題にしっかりと負担軽減の内容を込めた、そういう措置を我々は誠心誠意これからも努力すべきであるというふうに思っておるところでございます。  また、私の今回のこのことに対する責任は、当然、監督責任なり、また我々の思いが沖縄の出先の局長さんに十分浸透し切っていなかったという面の、そういう責任は当然あるわけでございますので、自分の大臣職としての給与の返納も含めて、私も大臣としてのしっかりとした対応はしてまいりたいと思っておりますし、また、御本人の処分についても、今検討中ではございますけれども、早急に結果を出してまいりたい、そのように思っておるところでございます。

○稲田委員 大臣、しかも、大臣をかばっている総理、今の大臣の言いわけを信じる人はだれ一人いませんよ。あの国会の答弁の大臣の様子を見れば、本当に知らなかったんですよ。しかも、詳細を答えろと佐藤さんは言ったのではなくて、その概要とその影響を大臣の口から答えなさいということですよ。何をごまかしをおっしゃっているんですか。  そして、給料の返納、お金の問題じゃないんです。防衛大臣、あなたは自分の役目がわかっているんですか。あなたの役目はこの国を守ることであって、あなたの身の保身を守ることじゃありませんよ。いいかげんにしてくださいよ。  大臣、もう一度、これだけ混乱をさせて、官僚の責任じゃないんです、あなたの責任なんです。この混乱を、そして沖縄県民の怒りを自分が受けとめて、この場で辞任を表明されるべきだと思いますが、この場で表明をされませんか。

○一川国務大臣 私は、二日に沖縄県知事さんの方にお会いをして、今回の前局長の発言の問題を含め、私の国会での発言の問題も含め、しっかりとおわびを申し上げてまいりました。  そういう中で、県議会の議長さんにもお話をさせていただきましたけれども、これからしっかりと私たちは、この問題については沖縄県民の心の痛みというものを払拭するのには相当努力が必要だと思いますし、また、信頼回復は大変なことだろうとは思いますけれども、私なりにまた一生懸命この職務を全うしてまいりたいというふうに思っておるところでございます。

○稲田委員 先ほどの、詳細は知っていたけれども適当ではなかったというような、そんな言いわけで沖縄県民に謝罪の気持ちが伝わったんですか。二日の日、大臣は知事に会われて、沖縄県民に謝罪をして、その謝罪は沖縄県民に伝わったんですか。もう一度お答えください。

○一川国務大臣 知事さんからのお答えも含めて、もう大変厳しいものであったというふうに私も認識いたしております。  私の今回のおわびだけで沖縄県民の皆さん方の理解が得られたというふうには私たちも思っておりませんし、これから引き続き努力はしてまいりたいというふうに思っております。  沖縄県内には約七千人の、自衛隊を含めた職員もお世話になっておるわけでございますので、我が国の安全保障上問題が生じないように、しっかりと私なりにまた努力をしてまいりたいというふうに思っております。

○稲田委員 何を甘い認識を言っているんですか。沖縄の皆さんは許していませんよ。日本国民も許していませんよ。知事も途中で退席なさったじゃないですか。県議会から抗議文を渡されたじゃないですか。あなたは公じゃなくて私を優先しているんです。そして、自分の保身を優先しているんです。そんな人にこの国を守れるわけありませんから。  今の大臣の答弁を聞かれて、総理、それでも総理は一川防衛大臣を更迭しないで、そして一川防衛大臣を守るおつもりですか。

○野田内閣総理大臣 大変沖縄の皆様の感情を傷つけた、これは本当に申しわけない気持ちでいっぱいでありますが、そのことも踏まえて、一川大臣におかれましては、これまで以上に襟を正して職責を果たしていただきたいと考えております。

○稲田委員 そもそも大臣には公の気持ちというのがないと思います。ブータン国王の宮中晩さん会をキャンセルして、御自分の同僚のお金集めパーティーに行って、そして、ブータン国王の晩さん会よりもこっちの方が大事だ、そのようにおっしゃいました。それは、はしなくも大臣の本心を言われたと私は認識をいたしております。  これだけじゃないんです。小松でF15の燃料タンクが落下をいたしました。そのとき、大臣は一週間後に小松におり立った。しかし、その現場を素通りしてどこへ行かれたか。やはり民主党の政治資金集めパーティーに行かれたんです。お金集めパーティーに行って、F15の燃料タンクが御地元に落ちて、そしてそれが、私は現地を視察しましたけれども、高速道路のすぐそば、民家のすぐそばの空き地に大きな穴があいている、ビルの屋上にも落ちている。そして、基地司令は、人身に事故が起きなかったのは奇跡だとおっしゃっている。  こんな大変な事故が起きているにもかかわらず、大臣はなぜ、政治資金パーティーに行って、空港から五分もかからない現地に行かずに政治資金パーティーだけに行って、そちらを優先したんですか。

○一川国務大臣 小松基地におけるF15の燃料タンク落下事故につきましては、F15にとっては初めての事故でもございますし、大変な厳しい、ゆゆしい事故でございました。これは、私は、地元に生活をし、あの周辺にいる人間でございますから、落下した場所は大変高速道路にも近い場所で、万一のことがあれば大惨事につながったであろうという面では、今先生御指摘のとおり、大変な事故であったという認識は持っております。  ただ、私は、地元であるからこそ、自分がその原因究明の前に余り地元へ出入りをしてあいまいな格好で処理したくないということで、徹底的に省内において、この事故の原因究明、そして再発防止に全力を尽くすべきであるという思いでございました。ようやく、先般、事故調査委員会においてその原因の究明が明確になり、そして再発防止についても、新たにそれをつくり上げ、今、地元の自治体の方にその説明に入っているところでございます。そういう面で、私は、地元であるからこそそれなりに厳しく対応してきたということでございます。  また、民主党石川県連のパーティーに顔を出したことは、確かに事実でございます。それは、前後のいろいろな日程の関係でそういう日程をとらざるを得なかったということでございました。

○稲田委員 質問に答えていないんですよ。結局、今、いろいろ弁解しただけで、現地視察するよりもパーティーを優先した、そのことをおっしゃっただけなんですよ。弁解ばかりやめてください。そして、現地に行かなかった理由に何もなりませんよ。真っ先に行くべきなんです、御地元でもあるし、防衛大臣なんだから。そして、小松まで行ったんだから。  いつもそうなんです。大臣は、事故後の十一日の記者会見で、防衛省の対応が遅過ぎる、国民目線じゃないと言って、また官僚に責任をなすりつけて批判をした、その御自分は結局行っていないんですよ。沖縄もそうです。どうして沖縄に事務次官を行かせて、御自分は行かなかったのか。なぜあなたは、御自分は行かずに官僚だけを行かせて、官僚の批判ばかりしているんですか。

○一川国務大臣 今回の前沖縄局長の発言は、先週の月曜日の夜、マスコミとの懇談会の中で発言した内容が翌日の二十九日の新聞で報道されました。その後、私は二十九日の日に本人を直接東京に呼んで、そして事実を確認した上で更迭の発令をしましたけれども、そのことについて、翌日、三十日に事務次官を現地に行かせました。それは、私自身が、三十日にもう既に国会の日程が入っていたと思っているんです。そういう関係もあって、私は、申しわけなかったですけれども、事務次官に、現地に行って沖縄県知事にお会いをしておわびをしていただくということになりました。そういう状況でございまして、その後、いろいろな委員会の日程等もございまして、私が行くのが二日の日になったということでございます。  沖縄県民の皆さん方には改めて心からおわびを申し上げたい、そのように思っております。

○稲田委員 全く答えになっていませんよ。三十日、党首討論があった日、あなたは総理の後ろに座っていたじゃないですか。党首討論で席を暖める暇があったら、沖縄に行って、そしておわびをなさるべきなんです。小松もそうなんです。私は、現地の、小松の地元の方にお会いいたしましたけれども、烈火のごとく大臣の対応を怒っておられましたよ。沖縄県民も同じなんですよ。大臣は結局、何が大事かが全くわかっていないんです。そして、自分の国よりも、自分の保身だけなんですよ。部下に厳しくて自分に甘い、決して責任をとらない。  不用意な発言が多過ぎる。素人だなどと発言をされました。総理、御自分のことを素人だなどと発言している防衛大臣を置いておくこと自体、国益に反しますよ。そんなおめでたい政府は世界じゅうどこにもありませんよ。防衛大臣が、自分は安全保障の素人だなどと言っている、そんな人を防衛大臣に据えている、そんなおめでたい国はどこにもなくて、世界じゅうからの笑い物ですよ。  総理、今でも一川防衛大臣のことを適材適所だと思っておられますか。

○野田内閣総理大臣 今の一川大臣の大臣就任直後のお話というのは、国民の目線で仕事をしていきたい、そういう思いでお話をされたものと思っております。  私は、これまでの政治的な経験とか知見等々を踏まえて、一川大臣は必ずしも防衛畑をスペシャリストとして歩んできたわけではありませんが、ゼネラリストの政治家としての資質を考えて、適材適所で選ばせていただいたということであります。

○稲田委員 笑わせないでくださいよ。国民目線と言うのであれば、素人を防衛大臣にしないでほしいというのが国民目線ですよ。  そして総理、そもそもこの沖縄の問題は、鳩山元総理のできもしない空手形、国外、最低でも県外、そして自分には腹案があると言って、腹案はなかったんです。それが今沖縄の皆さんを苦しめている最大の原因です。  総理、あなたが代表を務めている民主党の責任ですよ。沖縄県民そして国民に対して、鳩山元総理の、国外、最低でも県外、この発言が誤りであったことをこの場で認めて、謝罪してください。

○野田内閣総理大臣 政権交代をした以降に、いわゆる県外移転の可能性を探り、そしてさまざまな検証をいたしました。その結果、現在の日米合意に基づいて、普天間の危険性を一刻も早く除去し、沖縄の皆様の負担を軽減するという基本姿勢に変わりました。  この間にいろいろ曲折がございましたこと、そしてその間に沖縄の皆様に御迷惑をおかけしたことは、改めておわびを申し上げたいというふうに思います。 ○稲田委員 間違いなんです。そして、それは単に、沖縄県民の皆さん方の気持ちを傷つけた、もちろんそれは大きいです。それと同時に、日本国の安全も脅かしているんだという認識を持っていただきたいと思います。  また、総理の、沖縄に関して、全力を尽くして解決したいとか、言葉だけじゃないですか、すべて。素人の防衛大臣やら外務大臣に任せっきりにして、一回もあなたは沖縄に行っていないじゃないですか。一体いつ沖縄に行くんですか。一刻も早く沖縄に行かれるべきだと思いますよ。  今月の十二、十三日、南京大屠殺記念館の行事に合わせて中国に行かれるそうですけれども、土下座外交をする暇があったら沖縄に行くべきだと思いますが、いつ行くんですか。

○野田内閣総理大臣 別に南京陥落の日に合わせて行くわけでもありませんし、土下座外交をするわけでもございませんので、今のお言葉は私は適切ではないというふうに思います。  沖縄については、これは適切な時期に行けるようにしていきたいというふうに考えております。